2016年3月2日水曜日

王道の大切さ

久々にゲームを買いました。仮にもゲームの仕事に携わっていながら、ゲーム久々に買った、というのもアレなんですが。 「いけにえと雪のセツナ」 by スクエニ はい。大変良いですね。久々に楽しんでおります。 全編ピアノ中心の曲なことには驚きました。バトル曲までピアノとは恐れ入った。このような表現の仕方があるとは、目から鱗です。 シナリオも王道を素直にまっすぐ行っている感じですが、まだクリアしていないので何とも言えません。 途中経過ですが、良いゲームです。このようなゲームがもっと増えるといいなぁと考えています。 以前からもいろいろ言ってますが、「新しいものでなければならない」という傾向はあまり好きではありません。 芸術において、誰も真似できない、誰も到達し得ない個性、というのはとても大切でしょうけど、多くの人が望むのは、真新しい表現ではなく、「過去にあった表現の刷新」であると思うのです。 以前よりTRPGのシナリオや、音楽で物語を創ってきた経緯があり、ずっと言ってきた事なんですが 「王道」はなぜ「王道」と呼ばれるのか、その意味を理解しなければ、良い作品なんて作れません。 王道とは「昔のもの」ではありません。 人間が好む、人間がとる「行動学」や「心理学」のようなものをごちゃごちゃに混ぜたものです。 人類の歴史は300万年。その間、音楽は人類にとっての娯楽としてずーーーっと存在してきたはずです。 その長い年月人類が積み重ねてきた歴史を飛び越えて「誰もやったことのない音楽」を自分が生み出せる、という考えは、むしろ傲慢以外の何物でもないと考えているのです。 新しいハードやガジェットの普及で「娯楽のあり方」が変化しているように見えますが、多分本質は一切変わっていない。 真新しいサービスであるはずの「定額配信サービス」が始まって、聞いているのは「30年前に作られた音楽」だったりするわけです。 王道とは何か、を考えさせられました。

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