2012年1月28日土曜日


日本人の音楽に対する考え方を冷静に判断する中で、日本人は「共感・同情」という観点を重視しすぎる傾向があるんだなぁと最近思います。歌詞の内容が重視されていくのは、その歌詞のメッセージ性が「あ、その気持ち、わかる〜」という共感性を生み出すから、だと感じています。
現代、多様性が激化し、共感するポイントが分散されているため、圧倒的なヒット曲が生まれないのではないかと思います。
多様化しているにも関わらず、ヨーロッパなどでアーティスト達が神格化されているのは、日本人が当たり前だと思っている「共感・同情」の部分を通り越した「感受性のアンテナ」があると思えるのです。

日本人は「みんなが知っている」ことが重要です。
良い音楽があり、それが結果的に「みんなが知っている」であるなばら順序は正しいのですが、その逆が起こっているのではないかと思うのです。

年齢と共に、昔はたくさんの音楽を聞いていたのに、今はほとんど聞かない、買わないという状況、あると思います。
しかし、ラジオを聞いていると、飽きません。いろんな音楽がこの日本にも存在し、ただそれを知りえるメディアに乏しいということに気付きます。
そして何より、自分が努力して、自分に合う音楽を探さなければ、
メディアが押し当てる音楽は、すでに音楽が目的ではなく、それらに付随する「何か」のための布石に過ぎない存在になりつつあります。

悲観はする必要はありません。自分にあった音楽は「自力で探せばいい」んです。


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